岐阜県土岐市。ここに、愛知の有志の方々が、二年前に開墾作業、つまり、畑の石を取り除く作業からはじめ、自然と共に育んだ田んぼがあります。
今回は、その二回目の御田植祭をしに、こちらの田んぼに。私みたいな新米神主(しかも一番下の階位)が、御田植祭を斎行させていただくなんて、とても恐縮なことでした。そして、お田植えを体験したい!という若者を集い、みんなでお田植えをしました。 日本人といえば、お米。いつも、当たり前のようにたべているお米だけれど、私たちの口に運ばれるまでは、たくさんの方々の惜しみないお米への愛情を受けています。それは、人だけではない。虫や蛙など、たくさんの生き物の命によっても支えられているのです。
また、開墾作業はあまりにも大変で、田んぼは常に親が子を見守るように寄り添っていなければならない上に、土そのものも育てていかなければならいので、「田んぼは一世代ではできない」とのこと。だから、日本人は、田んぼを残してくれたご先祖様に、とても感謝してきたのだそう。 愛知の方々が、「自然がお米を育んでくれるのであって、人間は、そのお手伝いをさせていただいている」と仰っていましたが、その言葉がとても心に残りました。
田んぼの中は、ねんどのような泥で、水の冷たさがとても気持ちよかったです。 鳥のさえずりや、虫や蛙といった命が奏でる音に耳を澄ませながらのお田植えは、日常を忘れ、古来の日本人の心に少し寄り添えた気持ちになりました。
お田植えは、古事記の世界の原体験であり、それを原題においても追体験できる、とても尊い神事なのだと感じました。参加者の皆さんもそれをひしひしと感じていたようで、開催者としての意義を感じました。